2013年10月20日

色の話

亡き母はピンク色が好きだった。

母と言えば「ピンク」だったため、
母への贈り物はピンク一択だった。
ピンクと言ってもショッキングピンクではなく、淡いピンク。
どうしてそんなにもピンクが好きなのか全く理解ができなかった20代の頃の私。
その頃の私はベージュやブラウン、グレーが好きだった。
選ぶ服も地味な色が多かった。

それが、である。

ここ数年、自分の中に起きた変化を私は誰よりも痛切に感じている。
明らかにピンクが好きになっているのだった。

服や雑貨も手に取るのは地味な色より明るい色。
服などは割とあからさまで、顔に合わせた時に地味な色だとパッとしない。
パッとしないどころか見た目年齢が5歳以上あがる気さえする。
すぐさま却下。
今では鏡で合わせる前から却下。手に取るのは明るい色。

母があれほどピンクを好んでいた訳も、もしかしたら今の私にはわかる気がする。

するとこの間、こんな話を耳にした。
「女性ホルモンが低下してくると、明るい色を好むようになるらしいよ」
「赤やピンクは女性ホルモンを活発にさせるらしい」

納得。
自分のこの身をもって完全に同意。
本能のなせる業だったらしい。

私の身のまわりのものは、ナチュラルカラーの差し色的に、ところどころに明るい色が増えてきた。ナチュラルカラーの砦はできれば守りたい。

2013年4月18日

つかの間の裸

それは、
・裸の状態が1番美しく完璧なスタイル。
・だけど裸は危なっかしい。
・裸の感触がたまらなく気持ちいい。
・だから時々無性に裸にしたくなる。
・裸の状態はスリリング。


これ、すべてiPhoneのことです。

ケースなしで使うのが1番好きです。
だけどつるんと手からすべり落ちた時の代償を考えるとハラハラします。

今、SiriのためだけにiPhone5に乗り換えたくなってる衝動を抑えています。
それより母艦をなんとかしなければ。

悩ましい。

2013年3月24日

スロージョガーと海の町

走らないランナーが、ヨロヨロと走り出しました。歩いているのかと思うくらいのスピードです。

ジョギングするのにも、とっても気持ちのいい町だなあとつくづく思います。
暖かくなって、いろんな花が気持ちよさそうに咲き始め、いいにおいがあちこちからします。

砂浜をさくさく歩くのも好きです。
静かな波打ち際を歩くと、どうしてこんなに気持ちがやわらかくなるのでしょうか。
海なしの人生はあんまり考えられません。

ごきげんジョギングをこれからも細々と続けていけたら、怠惰なお腹まわりも引き締まるかもしれない。
春だし。





2013年3月22日

悪い女

少し前に、ファッションスタイリストのエッセイを読んだ時のこと。

その女性は
「悪い女」になりたい時はこのテイストで服を選びます、と
写真付きでコーディネートを紹介していました。
デニムに白シャツ、シャツのボタンは二番目まで開ける。
パンプスも赤。

なるほど、悪い女になりたい時があるんですね。
私もごくたまになら悪い女になりたい。

でも悪い女になる時があるんです。

私の場合はコンビニでスナック菓子を買う時が「悪い女」です。
(きっと、なんだか全然違う。根本的に。)

それがどれくらい「悪い」かというと、

・全然お腹空いてないのに、あえてスナック菓子を買う

・しかもポテチ

・しかも夕飯前

・しかも残さず全部食べる

そして、ポテチを食べたあとの罪悪感といったら半端ない。
ポテチさんのこの脅威的な存在感。

無性に体に悪いものを摂取したくなったり、体に悪いことをしたくなったら、それは相当ストレスがたまっているサインなのだとか。納得。

こんなポテチがどうこうなどというレベルの低い「悪い女」ではなく、本物の悪い女になってみたいものです。たまには。

2013年3月21日

今日も地球はまわりつづける

今日、会社近くの交差点で信号待ちをしていた時のこと。
小学生くらいの男の子と女の子1人ずつ、そしてお母さんらしき親子が私の後方で楽しそうに話をしていた。
その会話の中で男の子が女の子に「それ、いつ?何時何分何秒、地球が何回まわった時?」と聞いたのだった。

それを聞いていた信号待ちをしていたおねえさん(私のことです)は、目を細めて「私が小学生だった時も言ってたんだよ」と心の中でポツリと言ったのでした。

地球が何回まわった時だなんて、そんな天文学的な数字に思いを馳せるだけで胸が熱くなってしまうわ。

あんな子どものたわごとが四半世紀を超えてなお、使われているなんて。

写真は去年出会った空。
ノンフィルターです。

2013年2月20日

スローライフ脳

私は、ここ最近の物忘れっぷりが半端ない。
それが自分の身に起きていることなのか疑わしく思うくらい忘れるのだ。
例えば、という例を出すのもためらうほどに。

頭の回転がとてもスローリーになっている。急いで片づけないといけないことは、それほど多くないということだ。

でもあまりに忘れてしまって残念な思いをすることも多々あるので、せめてメモ書きにしようかと思う。

最近好きで読んでいる脳研究者の著書によると、「物忘れは年のせい!?」は、「気のせい」なんだとか。面白い。

写真はバンホーテンのピュアココア。
寒い夜にいかが。

2013年2月7日

出会いたかったヨガ

去年は、私のヨガ人生が変化をした一年だった。
ちいさなちいさな階段をひとつのぼったような感じ。

去年の秋から今年の冬にかけて、
神戸の先生のもとでヨガの集中講座を受けた。
クラスには11名の生徒がいて、私もそのうちのひとりだったのだ。

その講座が先月末に終了し、なんだかとても感慨深い気持ちになったのです。

昔、どこで何を聞きつけたのかは、もう定かではないけれど、私はヨガを始めたいと思っていた。
しかもインドの伝統的なヨガがいいと思っていた。

なんでインドの伝統的なヨガに興味をもったのか動機はきれいさっぱり忘れてしまったけど、今、ここにきて、「ああ、やっぱりこれが私の出会いたかったヨガだな」としみじみ思います。

最初に出会った2人の先生と、去年の春に出会ったモンチッチ先生も、そういう意味で「出会いたかったヨガの先生」で、この人たちに教えてもらったからヨガがすごく好きになった。

そして、去年の夏の終わりに、大好きな神戸で、とてもにおいの好きな先生に出会ったのだった。
初めての、男性の先生だったのだけど、異性とか同性とか、先生とか生徒とか、そういう垣根を感じさせない、親しみあふれる先生で、その先生がかもしだす人間くさい、味わい深い「におい」がとても好きだと思った。

先月、講座の最終日にはとてもささやかな、先生のイラスト入りの修了証をいただいた。

思えば雨の日や極寒の日は「今日はサボりたい…」とくじけそうになったけれど、頑張って向かった先には同じように学ぶ仲間が待ってる。

講座は土曜日のクラスだったので、「この一週間は、こんなことがありました」などと皆の話を聞いて自分のやる気に火がついたり、いろんな価値観に触れることができて、本当に良かった。

ヨガのことをとても丁寧に、ユーモアあふれる内容で伝えてくれた先生にとても感謝をしていて、一緒に時間を過ごした仲間にも深く感謝をしている。

先生とも、そこで出会ったヨガ仲間とも、たぶんこれからも細い糸でつながっていく。

そして私はヨガとこの先長い時間かけて、ゆっくりゆっくり寄り添っていけたらいいなと思う。

よろしくね。


写真は先生が描いたイラスト